技術+知識+情熱
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「好きこそ物の上手なれ」という諺があります。 車が好きであれば興味が湧く。 興味が湧いたら、車のことが知りたくなる。 しかし疑問が出てくる。疑問を解決するべく勉強します。 勉強し理解すると、もっと車が好きになります。 車が好きなら、自然に勉強は付いて来ます。 「入学した時より卒業する時にもっと車が好きになって欲しい!」 と、思いながら授業を行っています。 |
大阪産業大学短期大学部 自動車工学科 契約助手 平山和代さん (H19年度 短期大学部自動車工学科卒) |
自動車整備センター(AMC) |
今回は、2008年3月に短期大学部自動車工学科を卒業された平山和代(ひらやま かずよ)さんをご紹介します。平山さんは、日本で短期大学自動車工学科がある全国8大学の中で唯一の女性教員として活躍されています。 |
★ | 仕事の概略 |
自動車工学科は、2年間で自動車整備士を養成する短期大学です。 工学の技術はもちろん、知識も基礎から学びます。 また、自動車の技術革新に対応する為、プリウスなどのハイブリットカーを取り入れた実習や、電子制御・情報などの分野も積極的に教育に取り入れています。 |
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★ | 職 歴 |
卒業後、1つのメーカーだけでなく幅広い車種を整備してみたいと思い、自動車整備業界でも老舗の「株式会社西出自動車工作所」に入社いたしました。 自動車整備士として実践的な整備技術を身に付けました。 約1年で退社し、その後、母校である大阪産業大学短期大学部自動車工学科に契約助手として採用されました。 学生とのコミニケーションを大切にしながら、自動車実験実習の授業を担当しています。 |
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★ | 車との出会い |
小学3年生の時、あるイベントに参加をして、初めて二輪車(白バイ)に乗ってインスピレーションを感じました。 私と車との出会いは、この時だったと思います。 将来、「白バイ隊員になりたい」と思って母にお願いして、それまで習っていたピアノを辞めて、剣道を習いに行かせてもらいました。 16歳になり、夏休み中にアルバイトに励み、お金を貯めて、すぐに自動二輪の免許を取得しました。 免許を取得して、初めて二輪車に乗ったのは、50ccスーパーカブで、人生初のツーリングは大阪産業大学近くのRSTAICHIというバイク部品ショップでした。 怖くて、右折出来なくて、必死に阪奈道路を登って、信号で二段階右折をし、やっとの思いでRSTAICHIに着いたのを今でも懐かしく鮮明に覚えています。 高校3年生の時に、警察官採用試験を受験し、不合格になり、あっけなく白バイ隊員への夢は崩れ落ち、進路に悩んでいた時、大阪産業大学の短期大学部自動車工学科の事を知りました。 「やっぱり、車や二輪車に関わっていたい!!」 と思い、自動車工学科に志願することを決意いたしました。 |
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★ | 大学時代の思い出 |
短期大学なので、2年間という短い学生生活でしたが、中身は非常に濃かったように思いました。 同期には、女性は200人中たった3名でしたが、3名だったからこそ、楽しく学生生活を過す事ができました。 今でも、年に1~2回は、食事会を開催したり又、遊びに行ったりと友情を深めています。 短大なので忙しいと思っていましたが、意外にも私生活は充実していて、夏はバーベキュー、冬には忘年会など、親交を深めていた思い出があります。 しかし、一番の思い出は、やっぱり「実習の時間」です。 何も解らず入学して、車や各部品を直接手に触れ勉強していくうちに車への興味が高まり、どんどん車が好きになっていきました。 何気なく乗っていた車には、すごい仕掛けがあったり、人間だけでなく環境の事など考えて作られていて、車って本当に奥が深いし、凄い物だと感じました。 家に帰って、父親に今日習った事を話をし、又、家の車を使って実習で習った事を実践したりしました。 入学時、不安でいっぱいでしたが、自動車工学科を卒業出来た事は、私の人生の第一歩となりました。 |
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★ | 大学や校友会に望むこと |
女性の整備士というのは、全体的にまだまだ数は少ないです。 また、女性は、結婚・出産・子育てと人生のイベントが盛りだくさんなので、現役で働ける時間は限られています。 そのイベントを経験されている先輩方や、又、その後職場復帰されている先輩方などと意見交換できる場があれば、私も含め、卒業生には為になるのではないかと思います。 せっかく頑張って取得した国家資格だし、私自身も無駄にはしたくないし、してほしくないと思っています。 卒業しても、そのような場を設ける事によって、大学を通じていれば、資格を生かした再就職の可能性も広がると思います。 |
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★ | 趣 味 |
ドライブ、旅行 |
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これからも益々ご活躍されることをお祈りいたします。 |
(記事編集:広報事業部 神馬 克之) |