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田村 友義さん「原点回帰~This is me~(前編・後編)」

 「原点回帰~This is me~(前編・後編)」

 

平成18年度卒業  工学部 機械工学科  田村 友義さん

 
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「大産大卒業生のデビュー作品『原点回帰~This is me~前・後編』R4・3/6にamzon.jpで発売決定!!

 
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  記事のタイトル;私の初出版である「原点回帰~This is me~(前編・後編)」の宣伝をこの度させていただきます。

大阪産業大学のOB・OGのみなさま、そして関係者のみなさまご無沙汰しております。校友会のHPで過去に2度取り上げていただきました2007年度卒業生の田村友義、通称Gypsy Tomoでございます。

2009年から世界放浪生活を始め、計49ヵ国を渡り歩き、実際に生活を営んだ国は5ヵ国に上り、様々な国や大陸で過ごしておりました。現在はコロナ渦のため日本国内で滞在をしている中、今回アメージング出版からアマゾンジャパン(amazon.co.jp)のみで私の著書が販売されることが決まりました。そして、その著書である『原点回帰~This is me ~前・後編』の2冊は同時発売されます。2009年~2020年までの約10年間の内容を自叙伝として面白おかしくインパクトに残っている場面を主に綴らせていただきました。

24歳の時に日本を出て、海外で1から修養する取り組みを始め、右も左も解らない、英語も全く喋れない中で、バックパックを前後に背負い、先ずは留学先であったニュージーランドはクライストチャーチから軌跡が始まりました。これらの一風変わった大冒険を大阪産業大学のみなさんと是非ともシェアしたいと思います。

 

ここで軽く著書の構成を説明させていただきますと、『原点回帰~This is me~前編』は第一章~第三章前半までが綴られております。何故このような人生を送ろうと思ったのかは、もちろんのこと、例えば第一章は『勢いを身に着ける、自己改革』というテーマに放浪しておりました。ニュージーランドで1年間、オーストラアリアで2年半の滞在を経験し、自分の課題であった英会話の上達やコミュニケーション力の向上、そしてラクロスというスポーツを通して現地の人と交流し、試合で激しくぶつかったりと、様々なミッションや課題がある中で取り組んだ内容を書いております。当初は全く海外経験がなくて、不安もたくさんありましたが頑張ってこじ開けて楽しんで行ったと言いますか「走り抜けた」というような、今でも鮮明に覚えている事柄を綴りました。述べたい事はたくさんありますが、ここではこの程度にしておきます。

続いて第二章は『変化する状況を理性でコントロールして励む、そして更なる自己改革の軌跡』をテーマにカナダで1年間の滞在とバックパッカーとしての北中南米横断列記である6ヵ月間を綴らせていただきました。これも鮮明に覚えております。カナダでの滞在はラクロスを退くというところから始まり、ここでは言えませんが憧れであった体を動かすレッスンに入会してみたり、外資系企業(バンクーバーの地元企業)に勤めさせていただいたり、カナダでも初めての取り組みがたくさんありました。当時、海外生活4年目でしたが緊張することも相変わらずありました。又、自分の不本意から、とある失態を起こしてしまい警察官に囲まれたこともありました。北中南米横断の時も珍事の連発に、目まぐるしく訪れる次から次への刺激ある出来事があったので、是非読んでいただけたらと思います。

そして第三章は『思いっきり!! 更なる進化と難題を求めて多民族共存エリアへ!!』というテーマで、憧れだった北欧はノルウェー王国へ飛び、生活をさせてもらえる事となりました。その後はドイツでもワーキングホリデービザを現地で取得して就労し、約9ヵ月間こちらの両国にいてヨーロッパ生活を堪能させてもらいました。そして初のアフリカに初の中東へ訪れ、初の鬱にかかったりと、「ヤバイほど」濃かった1年4ヵ月間の旅路でした。この時が一番、英語も喋れるようになっていて経験値もある程度は積んでいたので、めちゃくちゃ無理やり攻めまくっていた時期(最高点・ピーク期)でありました。当時30、31歳でしたので、最後の若さを絞りに絞りだしていました。もうこれ以上のパフォーマンスはできないって言えるぐらいに完全燃焼しました。

最後に第四章は『不安なし!!思った通りに進め~の巻 ロシア、ウラジオストックから旅が始まる』というテーマで、原点回帰の後編で綴られておりますが、こちらは大人しめの私のゆっくりした旅路が描かれております。32、33歳の時でしたので、落ち着いた丸くなった感じの旅路で、シベリア鉄道記やスペイン語留学記がメインとなり、集大成って形になります。もちろん予期しない出来事は相変わらず身の回りで起こり、フィリピンでの就労資格が下りなくなってしまい、渡航の10日前の事で止むを得ず…という形で、とある国へと強制送還となってしまって、その日から本当に大変な現実が待っていた事となりました。ともあれ、軽くつかみの部分だけご紹介させていただきました。

 

是非とも、わたくし産大OBが、世界の何処かで前代未聞の勘違いをしながら笑顔に生きてるということをネタでも風のうわさでも知っていただけたらと思います。母校や後輩の励みになれば嬉しい限りです。

大阪産業大学 工学部 機械工学科を卒業して、『何をしてるんだ』って話ですが、一度きりの我人生、脱サラして現金300万円握りしめて、国外へ飛んで行き(逃亡し)、常識に捉われない代わりの人生路をエンジニアとして自らの手で創造×想像しながら生涯を歩んでいった過程を是非ご覧ください。

 

O3F065 卒業生 田村友義

 

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